餃子

ここまでメディアで餃子餃子といわれると、久しぶりに餃子食べたくなってきた。

ってことで明日友達呼んで、家で餃子食べることにしました。

そんな告知のメールを友人に送ってたらふっと思ったんだけど、今回の「毒入り餃子」騒動、なんかちょっと違和感を感じる。 これはあくまでも「社会人の素養」って所にだけ立脚した直観なんだけれども、なんだか強烈な違和感を感じる。

今回の騒動って、結局、

1。「餃子を食べて中毒症状を起こした人が出た」

2。「その餃子は中国製だった」

3。「中国製の食品は以前から安全に疑問符が付いていた」

4。「したがって、製造元にて異物混入した疑いがある」

っていう理屈が背景にあるわけでしょ?

これ、2。と3。の間って、三段論法モドキでしかなくて、単なる論理の飛躍だよね。こういう論理構造で大騒ぎして、結果論的に赤っ恥かくパターンって結構多いような気がする。 なので心ある社会人なら、こんな脆弱な論理構造だけを頼りに確固たるエビデンスが揃わないうちに騒ぐなんて馬鹿な真似はしないはず。

もしこれ、国内での流通過程で毒物が混入してたってことが判明したら、おおごとだよ。支那相手に国家的赤っ恥かくことになっちゃいますよ。