なぜお正月は「年の初め」なのか

正月である。賀状の往来がある。恭賀新年とか書いてある。友人知人が家に来て飲んで騒ぐ。お年賀もらったり渡したりして新年明けましておめでとうとかいってる。初詣にいく道すがら近所の人にあう。旧年中はお世話になりましたとかいう。例年のごとく、一月一日で年が改まり、新年と旧年が入れ替わる。いやぁめでたい。今日から新しい一年だ。

なんで一月一日は一月一日なんだろう

いや、気が触れたわけじゃない。ふと考えてみるとなぜ「年の初め」をこの日に設定しているのか、すっと説明できない。

だって、不思議じゃないかい? 

一年は365日。地球が太陽の周りを運行するのに約365.24日なんだから、一年はまるっとまるめて365日。これを基準に考えたら、この365日のうちどこが一月一日だって構わんはずだ。しかし、一年の長さを365日という天文学的な周期で規定するんなら、春分や秋分、もしくは夏至や冬至など、天文学的な特異日を「新年のはじまり」と設定してもよかったはず。「今日は春分なんで、昼と夜がちょうど同じ長さです。今日から新しい一年です」って言ったってかまわないはず。

それに天文学にこだわる必要もない。たとえばヒジュラ暦(イスラム暦)のように、歴史的事件を起点として1年の始まりをそこに求めるという方法だっていいはずだ。ヒジュラ暦はまことにわかりやすい。ムハマンドがメッカでの布教をあきらめ、ヤスリブへ移住することを決断した月(西暦でいうと622年7月)を暦の起源としている。さらにヒジュラ暦は厳密な太陰暦なので全てが月の満ち欠けで決まる。月が新月から満月になる周期は29.53日だから、一ヶ月は29日か30日。一年は太陽の運行と関係なく、コーランに「アラーが天地創造されたときの月数は12」と書かれているから12ヶ月。29日と30日の月が交互に6回ずつめぐってくるから、一年の日数は354日。我々の暦とは11日ずれる。季節ともずれる。ずれたってかまわない。歴史的な出来事を基準にするなら、こっちの方が素直な考え方だ。僕もムスリムだったら「そもそも1月1日はなんで1月1日なんだろう」なんてことで悩まずに済んだ。悩みたくないから改宗しようかなとおもうぐらい、ヒジュラ暦はわかりやすい。

さらに不思議なのは、いま我々が利用している太陽暦と明治五年まで利用していた太陰太陽暦の一月が、そんなにずれていないということだ。太陽暦であれ太陰太陽暦であれ、暦の決め方は基本的に天文の運行に従っている。で、新年と旧年の境目はその天文の運行になんらかの理屈をつけて、「ここが境目」と決めることなんで、理屈が違えば境目も違ってきて当然。なのに歴史的背景を異にする西洋の暦も東洋の暦も、だいたいおなじあたりを「ここが境目」としている。偶然といえばそれまでだが、偶然にしちゃぁ奇妙だ。

そんなことを考えると、新年のことほぎどころじゃなくなってきたので、諸々調べてみた。

古代メソポタミアは3月が正月 古代エジプトは8月が正月

メソポタミアの人々は農耕のために、極めて緻密な天文観測をおこなっており、紀元前3800年ごろまでには、地球の自転周期も公転周期はおろか、地球の地軸が約26000年周期で回転しているという歳差運動まで理解していた。この豊富な天文知識を背景に、メソポタミアではすでに、「一年は公転周期に合わせて365日 一ヶ月は月の満ち欠けに合わせて30日前後。地球の公転周期で決まる一年の日数と、月の満ち欠けできまる一ヶ月の日数のずれは、メトン周期に従って19年に7回、閏月を入れて調整する」という太陰太陽暦を用いていた。暦の基準は天体の運行。だから、一年の初日は天文運行の特異日である春分の日とされていた。春分秋分夏至冬至のうち、春分が元旦に選ばれたのは、ちょうどこのころ大麦が収穫できるから。なお、この暦法はバビロン捕囚以降、ユダヤ人も利用するようになり、現在のユダヤ暦もいまだこの法則で動いている。

同時期に、エジプトでも暦が発達した。エジプトではナイル川が氾濫し下流地域に肥沃な土を運んで来てくれるから初めて耕作も植え付けもできる。だから、ナイル川の氾濫を予測することが何より重要。エジプトの人々は、ナイル川の氾濫が、毎年、夜空にシリウスが見え始めるころに起こることを知っていた。したがって、エジプトの暦での新年は、夜空にシリウスが昇るようになる日とされていた。今の暦でいうと7月ごろだ。シリウス初日の出〜翌年のシリウス初日の出までが一年。夜空の星の見え方が暦の基準なので、だいたい太陽暦と同じ運行になり一年は365日。ただし、毎月の日付は月の満ち欠けを基準に考える。なので、月の運行とシリウスの運行のずれが発生する。他の暦法だと閏月や閏日を入れて修正していくのだが、エジプトではその修正を実施せず、日付が季節とずれていくことを承知の上で、暦を刻んでいた。

いずれにせよ、メソポタミアもエジプトも、「周期は天体運行をベースで刻み、周期の起点は天体運行の特異日とする」というところで共通している。人為的な操作がないので、根拠も明確だしリズムも正確。

だったらそのまま、春分の日を一月一日とか、シリウス初日の出日を年初とかにしておけばよかった。

古代ローマは3月が正月

しかしここから人為的な要素が暦に加わるようになる。古代ローマの影響だ。

ローマの人々は、一年が365日だということを知らなかった。毎年、春分の日前後に王様が「今日から新しい一年」と宣言する。それがローマ暦の元旦だった。そこから月の満ち欠け周期にしたがって、だいたい30日前後を一ヶ月とし、一年を10ヶ月とした。冬の間は農耕が休みなので日付も月の名前もない。つまり、今の暦でいうと、1月と2月が存在しないのが当初のローマ暦の特徴だ。

この暦法は、王政ローマ二代目の王ヌマポンピリウス時代に改定され、一年10ヶ月に2ヶ月を追加し、一年の月数は12ヶ月・一年の日数は355日と設定された。この改定をいまの暦にあてはめると、3月から12月=元々あった10ヶ月/1月と2月=新たに追加された月 となり、いまの2月が年末になる。閏年の調整を2月に行うのはこの名残。年末に帳尻を合わせようという考え方だ。

一月一日の誕生

3月に一年がはじまり2月に一年が終わるローマ暦は、共和制に移行したあともそのまま引き続き利用された。年初を春に設定するのは人間の生活リズムに合致している。冬の間は農耕も戦争も休むしかない。新しいことをはじめるのなら春からだ。共和制ローマでは、年に一回の執政官の交代も、元旦である3月1日行うようになった。しかし、紀元前153年の冬、ヒスパニアで反乱が起こり、急遽、一月一日に執政官の就任を前倒しする必要にせまられ、この日を元旦とすることとなった。これが、一月一日が元旦になった最初の事例だ。

3月1日元旦から、一月一日元旦に大幅改定されたローマ暦は引き続き利用されたものの、閏日の設定が曖昧だったため、時代を経るにつれ季節と日付のずれが顕著になっており、シーザーが終身独裁官になるころには約90日のずれがあったそうだ。クレオパトラと結び、エジプトを征服したシーザーは、正確なギリシャ暦と不正確なローマ暦の落差に驚き、両者の統合を図る。エジプト暦との照合で発見されたローマ暦の90日のずれを、紀元前46年に閏月を3ヶ月追加するという強引な手法で解消する一方、新年一日はローマの古法どおり、一月一日とすることを布告した。これにより、「一月一日を年初とする」習慣が、広大なローマ支配地全土に行き渡ることとなった。ただしもちろん、一月一日が年初であるのはローマの特殊な歴史的事情によるので、支配地の他民族にとっては知ったこっちゃない。相変わらずあちこちで、「年初は春分の日だ」「年初はシリウス初日の出だ」と「違う元旦」を祝う人々は存在しつづけた。

ローマ世界のキリスト教化と「一月一日」の再設定

シーザーによりローマ暦とエジプト暦が統合され、ローマ世界では一月一日が年頭とされることとなり、数百年。ローマ世界はすっかりキリスト教化された。キリスト教ではなにより、クリスマスと復活祭が大事なお祭り。しかしイエスキリストが生まれた日付ははっきりしない。当時は五月にキリスト生誕祭を祝ってる人々がいたほどだという。復活祭も地域によって違っていた。そこで、ニカイア公会議ではじめて、「12月25日」を生誕祭 「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」を復活祭と意見の統一を図った。しかしここで要注意なのは、「どの暦の12月25日を12月25日とするか」等で、せっかく定義した日付も変わってくるということだ。このため、ニカイア公会議での合議内容も混乱をもったまま各地で受容され、日付の統一をみるには至らなかった。
この混乱に最終的な終止符を打ったのが、ローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスだ。彼は教皇ヨハネス1世の委託をうけ、聖書の「イエスが復活したのはユダヤ教の過越祭の前日から三日目の日曜日」という記述を手掛かりに、ユダヤ暦を参照しながら自らの天文学知識と天文観測を用いて、イエスの生誕日と復活日を確定していった。ここではじめて、クリスマスは太陽暦12月25日であることが確定されたわけだ。また、同時に、聖書の「イエスが割礼したのは生誕から8日目」との記述から、12月25日から8日目である一月一日には、「イエスが宗教者として歩みだした日」と意味合い付与されたのだ。

時に西暦525年。

かくて、「一月一日」は生まれた。これで、一月一日は、「ローマの軍人の就任日を起源とする年初設定」から、「キリストの人生イベントの中で重要な日であることを起源とする年初設定」となったのだ。

もちろん、各地で、春分の日や冬至やシリウス初日の出を新年とし続ける地方は存在しつづけたし、いまも存在している。

しかし、その後のヨーロッパ全土のキリスト教化、そしてヨーロッパがデファクトスタンダードになったという世界史の流れのなかで、一月一日こそを「年初」とする考え方は広い地域で受容されていくこととなる。

日本にヨーロッパの暦法が導入されたのは、明治五年 1872年12月3日のこと。これまでの太陰太陽暦を廃止しいきなり太陽暦に移行するとの布告がだされ、世間は大混乱に陥ったという。しかし、導入された新しい暦の「新年」も、それまでの暦の「新年」も比較的近い日付であったため、「太陽暦一月一日を新年とする」ことそのものに対する拒否反応はさほど強くなかった。
もし日本がそれまで採用していた暦法の年初設定が、春分の日だったりシリウス初日の出だったりしたら、もっと混乱していただろう。不幸中の幸いというべきかもしれない。

以上、主に西洋視点で「なぜ一月一日が年初とされたか」についてまとめてみた。
次稿は、「なぜ中国や日本が利用していた旧暦で一月一日が年初と設定されていたのか」になる予定。

長くなったので、一旦、筆を置く。

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