#森へゆく径 高峰秀子

どうもここ2−3年、高峰秀子のブームが作られつつあるような気がしてならない。各出版社とも、彼女のエッセイ集を復刻したり、彼女のライフスタイルに関するムック本を出したりと、一時期の白洲次郎ブームや村岡花子ブームのような様相を呈している。

出版社も物を売らねばならない

ブームを作って世の中の人々が消費し易くするよう環境を整えるのは当然のことだ。だから過去の白洲次郎や村岡花子やイサムノグチのようなブームに文句をつけるつもりはない。

だが、どうも、高峰秀子ブームは違うような気がする。僕の直感でしかないのだけど、このブームには「よこしまさ」を感じるのだ。そう、ちょうど、百田の「純愛」に感じるようなあの「よこしまさ」を。

そんなことを強烈に感じたのは、今月の「ユリイカ」が高峰秀子の特集だからってこともある。

そこで、ブームの実態を探りに、本屋まで見にいってきた。 幸い、我が家の周りには徒歩圏内に中規模の書店が3軒ほどある。全部まわってやろう。

確かに、予想通り、どの本屋も高峰秀子だらけである。

月刊誌の棚に今月号の「ユリイカ」が平積みされているのを始め、文庫の棚でも、復刻なった「コットンが好き」などのエッセイ集が並べられている。

相変わらず「ユリイカ」の効果絶大だ。「ちょっと賢い感じのする月刊誌」のパワー恐るべし。おそらく棚作りの担当者の背中を押したんだろう。

10代の終盤、ほんの一時期、高峰秀子のエッセイに耽溺したころがある。僕が彼女にはまったのは、あの美麗な文体そのものが理由だった。彼女の書く文章は、美麗で技巧に富んでおり技巧に富んでいるからこそ衒学的で、衒学的なのに肩の力が抜けていて読んでいて疲れない。そんな彼女の文体と、たとえば成瀬の「浮雲」や野村芳太郎の「張込み」で見せる技巧と自然が交差する彼女の演技との類似点を一人でみてとっては喜んでいた。

思えば、昔の高峰秀子ファンというのはそういう人ばかりだったような気がする。決して名随筆家とまでは言えない彼女を文筆家として積極的に捉えようとする人々は、あくまでも「あの高峰秀子が書いているからこそ、彼女の映画スターとしての基盤があるからこそ、映画スターがしっかりとした随筆を書くという稀有な事例を堪能するためにこそ、読む」というのが、基本スタンスだったのではないか。

そしてなにより、彼女の生涯に渡り彼女に寄生しつづけた母親や親類縁者たちの確執から滲み出る薄暗さを感じ取ることで、彼女を文筆家として評価していたのではないか。

ところがどうだ。もはやそんな話は過去である。

本屋の棚に展開される高峰秀子は、あくまでも「恋に生きる女」「おしゃれなライフスタイルの女」「おきゃんな女」だ。薄暗さも衒学もなにもかも押し込められてしまっている。

これはどういうことだろう。ここまでしてライフスタイル唱導家として売る必要があるのか。

平積みされているユリイカを手にした。

関川夏央による味のある評伝や、御園生涼子による「コロニアルメロドラマ」という切り口での論考など、やはり手堅い仕事が並んでいて読んでいて楽しいくはある。
特に、高峰秀子をニヒリストと断じる仲代達矢のエッセイは出色。あんなの書けるの仲代達矢しかいない。

しかし、特集の中程、案の定、あの養女とかいう人のインタビューが掲載されている。

長い長いインタビュー記事だ。今更聞く必要のない話を長々と聞いている。で、いまさら話すようなことでもない話を養女氏も延々と語り続けている。新規性も深みも一切ないのに、売らんかな売らんかなの工夫だけは全編にみなぎっている。

おそらく、ここが震源地なんだろうな。

高峰秀子は、死してもなお、「家族」に寄生されつづけているのだろう。

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