藤村さん

ベルコモンズの前でタクシーを拾う。

ベルコモンズと言っても、もはやベルコモンズは解体工事中。大を足そうとして個室に駆け込みコートを脱ごうとしても身動き取れないほど狭いトイレももうない。

青山はずいぶん変わった。

「すみません。信号の手前で止めてしまって。天現寺までお願いします」

「かっしこまりました」

外苑西通りを南へ。

早速渋滞に捕まる。

「オートマのタクシーで、エンジンブレーキかけるの、久しぶりに見ました。今、ギア落としましたよね」

「ボック、お客さんカタカタゆわせるの嫌いで。。。コイイウとっき、ギア落とすんですよ。オートッマですけっど」

助手席の先にある運転手票を見る。「藤村」とある。

「藤村さん。出身どこなんですか?」

「ボック、韓国のソウルの南です」

「そうなんだぁ。この仕事して長いんですか? 運転がすごいうまい」

「ありがっとございます」

「藤村さんってのは通名ですよね」

「通名使わないと、夜怖くて。」

「なんで?」

「酔っ払ってるお客さんとか、やっぱり、いろいろ言うんで。。。。」

「そっかぁそうだよなぁ。言うバカもいるだろうな。そう思うと、クソだらけだよな日本って」

「おっ客さんみたいなの初めてです。」

「で、こんなに運転うまいけど、何年やってんですか?」

「15年になりっます」

「長いっすねぇ。どおりで上手ぇはずだ」

「西麻布の交差点はまっすぐで?」

「うん。まっすぐで。テレ朝通りにいかなくていいです」

「かっしこまりましった。」

車の中は、夏みかんの匂いがする。なんだろうな、この懐かしい匂いは。

「藤村さん。本当に運転上手い」

「ありがっとございます。」

「やっぱ帰りたい?」

「帰りたいですよ。今年、51なんですけど。23まで東京の大学に留学してたんデス。一回、韓国帰って、お店やって、ダメになって、もっかい日本に来て、この仕事。韓国にはIMF時代とかあって、何やってもダメだった。だから、日本に来たんです。子供たちはこっちで生まれたんで、帰ろうか?って聞いても、嫌だって言うんで、困ります」

「酔っ払いの人、やっぱり絡むんですか?」

「気づく人は、言うんですよね。日本語がおかしいと。」

「ひでぇなぁ。本貫としては姓はなんていうんです」

「朴です。朴って言うんです。」

「そうなんだ。」

「朴って書いてあると、やっぱり絡む人、多くて。だから、藤村って」

「なるほどなぁ」

「天現寺の交差点は?」

「あっ。もう天現寺か。じゃ、天現寺は左にお願いします」

「かっしこまりまっした」

「次の信号、また左に曲がってください」

「はい。あ、フランス大使館のところでっすね。わかりました。。。。。でも、お客さん。。。」

「はい?」

「なんで何も言わないっすか?僕、日本の人じゃないのわかって」

「韓国にも、全羅南道はダメだとかいう差別あるでしょ。」

「ありまっす」

「僕ね、日本でいうそういうとこの生まれなのよ。何やっても全然ダメ。」

「それは、東京の人が東北の人を馬鹿にするみたいなものですか?」

「いや。違う。もっと細かくてね」

「細かいってどういうことでっすか?」

「東北とか九州とか、そういう大きなくくりじゃなくて、村単位で」

「村で??? 初めて知りまっした。日本もそうなんだぁ。」

「いまだにありますよ。どこどこの村だからとかいう話は。」

「だから僕の生まれ、どうでもよかったんですね」

「どうでもいいとは言ってないよ。」

「同じ、感じがすっると思ったけど、匂いがそういうことかと思ったけど、そういうことだったんですね。」

「まあそういうことなんでしょうね。 辛いね。逃げられないね」

「このまま真っ直ぐでいいですか?」

「真っ直ぐでいいですよ。ガードレールの切れ目で降ろして」

「ありがとうございまっす。こっこでいいでっすか?」

「はい。そこで。」

「ありがっとございます。ちょうど千円です」

「ありがとう。じゃあ千円おきますね。

「ありがっとございます。丁度千円、いただきまっす」

「じゃ、また。いずれどこかで」

「次は泣かないようにしまっしょうよ。」

藤村さん。

僕が後部座席で泣いてたこと、バックミラー越しに気づいてたみたいだ。