百地章先生について

本日の朝まで生テレビに、日本大学の百地章先生がご出演されるそうです。

まあ、90年代後半から朝まで生テレビは、「オワコン文化人の年金支給所」みたいになってるんで、あの番組に誰が出ようが問題ないといえば問題ない話ではあります。

ただね、百地章先生をオワコンというのは失礼に過ぎる。世の中的には、「最近急に出てくるようになった憲法学者」という理解でしょう。

で、実際そうです。百地章先生がWillや正論などを除きメジャーなメディアに出るようになったのは、ここ最近、とりわけ安保法制に関して「たった三人しかいない集団的自衛権を合憲とする風変わりな憲法学者」の筆頭として菅官房長官が百地章先生の名前を挙げて以降のことかと思います。

「書いたものといえば、紀要の類と講演の書き起こしぐらいしかなくて学術的功績を見つけるのが難しい(Ciniiの検索結果=http://bit.ly/1LJukEH)にもかかわらず、なんであんな人が比較憲法学会の理事長やってんだ?」とか思ってるそこのあなた! あなたは間違っています。あなたは世間からずれています。だからダメなんですよ。百地章先生を見ならないなさい。

世間の目から見れば、百地先生は立派な御よ。。。もとい、提灯もti..もとい、憲法学者です。 

そこで、百地章先生について改めて皆さんにご紹介したいと思います。

1946年(昭和21年)、静岡県でお生まれになった百地章先生は、長じて、静岡大学に進まれます。静岡大学在学中は、新興宗教「生長の家」の熱心な信徒として、生長の家の学生組織 「生学連」の運動に没頭。「静岡に百地あり」とまで言われるほどの頭角を現されます。

時は、70年安保学生運動華やかりし頃。生長の家の学生運動は、各地で、左翼セクト学生と対峙し、その中でも、長崎大学から始まった「学園正常化運動」は大きな反響を呼ぶに至り、ついには、「民族派の全学連」を目指し、「全国学協」が結成されます。なお、この全国学協は、生長の家の学生だけではなく、統一教会(当時の呼称)の学生部隊である、原理研なども参画する巨大ムーブメントでした。

百地先生はこれに参画。当時の百地章のご活躍のご様子は、生学連の機関紙「生学連新聞」に度々登場しております。

百地先生の信心高さが評価されたのか、その後、全国学協の生みの親である長崎大学出身の椛島有三さん(現・日本会議事務総長)らが、鈴木邦男、井脇ノブ子ら、生学連の諸先輩がたを社会的に暗殺していかれる中で、次第に栄達され、ついには、ダミーサークル「全日本学生文化会議」の「設立者」として学生運動の一角の頂点を極められます。ちなみに百地章先生が「設立」された「全日本学生文化会議」は今も、サークルとして存続しており、つい最近まで、椛島有三さんのご息女、椛島明実さんがその代表を務めておられました。

学業の方でも進展があったのか、静岡大学から京都大学大学院に進まれ、博士号を所得。憲法学者としての一歩を踏み出されます。こうしたアカデミックな活動の傍ら、生長の家政治運動の活動もたゆまず続けられ、全国学協の社会人組織である日本青年協議会の幹部として、生長の家政治運動の「教団の外の顔」として、活躍されます。

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ご覧ください!百地先生の雄姿を! 長崎大学で学園正常化運動を始められた、生長の家政治運動のヒーロー 椛島有三さん 及び その椛島有三さんを補佐するとこ熱く、大分大学から長崎大学学生運動に参画し、その名を挙げた衛藤晟一さんの隣に、日本青年協議会の幹部として、そのお姿があるではないですか! まだおみぐしも黒々とはっきりとされておられます!

聞くところによりますと、日本青年協議会は、長崎大学の学生運動が発祥ということもあり、学歴よりも閨閥よりも、「九州出身かどうか」が重要とのこと。また、椛島有三さんの「能吏」としての性格がそうさせるのでしょうか、「デキのいい奴こそ目立たない裏方の運動 デキの悪い奴や九州出身じゃない奴は、外でて目立つ仕事でもしておけ」という不文律があるそうですな。

その不文律に従われたのか、愛媛大学にご就任なられた後も、積極的な言論活動を展開され、「正論」や「Voice」あるいは「諸君」など、保守系論壇で活躍されます。

日本大学に移られた後はさらにその言論活動の幅を広げられ、憲法学者なのに文化論であるとか、軍事論であるとか、専門外のことにも言及されるようになります。

しかし、何よりも、百地章先生の真骨頂は、路線変更の結果急速に左傾化する「生長の家」教団に反旗を翻し、公然と分派活動を始められたことかと思います。

「生長の家は愛国運動であるべきだ」

「生長の家は谷口雅春先生の個人崇拝を進めるべきだ」

掛け値なしに申し上げまして、こうした姿勢に僕は、「ファナテイックだな」とは思うものの、むしろ尊敬の念さえ抱きます。誰しも自分が青春を捧げた対象が路線変更していく様を見るのは辛いものです。大人になりきれず青春を引きずる団塊の世代の人たちに多い心理的機序かとも思います。本心から言って、それを憐れみこそすれ、馬鹿にするつもりも資格も僕にはありません。

百地章先生の激情は、「今の生長の家は本当の姿を保っていない」という言論活動の展開だけにとどまらず、公然と分派活動を始められ、ついに、「谷口雅春先生を学ぶ会」の設立に参画されるに至ります。

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谷口雅春先生を学ぶ会の機関紙、「月刊 谷口雅春先生を学ぶ」の奥付に、堂々とご自宅のご住所をあげられるほどの熱の入れっぷり。

聞くところによりますと、百地先生の信仰上の諸先輩がたは、「気持ちは話かるがやめておけ」と百地先生を御諌めになられたとか。しかし先生は、この諫言を入れられず、情熱のまま突き進まれ、ついには諸先輩がたの賛同も取り付け、「谷口雅春先生を学ぶ会」の設立にこぎつけられました。

これは信仰者として本当に素晴らしいと思います(ここはマジ)

先生の設立された「谷口雅春先生を学ぶ会」は、「80年代以前のあの政治運動華やかりし頃の生長の家」「愛国教団生長の家」を懐かしむ古参信者や、その子弟の賛同を集め、今や、教団本体を凌ぐほどの隆盛を誇っています。

その隆盛を実感されたのでしょうか。「谷口雅春先生を学ぶ会」第2回全国大会で、同会副代表の前原幸博氏の後に登壇され、憲法論の講義をされる先生のお顔は、とても光り輝いておられました。

先生が設立された「谷口雅春先生を学ぶ会」には多彩な人士が参集しておられます。中でも特筆すべきは、「愛国幼稚園」として有名な大阪の塚本幼稚園の園長ご夫妻の存在でしょうか。

副園長の塚本夫人は、「谷口雅春先生を学ぶ」平成16年5月号に烈烈たる神秘体験を寄稿されておられます

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また、上方落語の桂福若さんの存在も忘れられない存在です。桂福若さん覚えておられますでしょうか?先生が「谷口雅春先生を学ぶ会」第2回全国大会でご講演された直後に、信仰上の神秘体験を披露されたあの、落語家です。念のためにプログラムを添付します。

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桂福若さんは、信仰のかいあってか、今もご活躍中。「尊皇隊」なる組織に参加し、いろいろな活動を展開しておられます。

このように見ても、先生の信仰の力は各方面に及んでおり、誠に、先生の御人徳に敬服する他ありません。

思えば先生のこれまでのご半生は 信仰 運動 言論 そして学問と、4足のわらじを履き、それぞれで活躍されるというものでした。八面六臂の大活躍と言えましょう。また、この4足のわらじでの活動を支え続けたのは、やはり信仰の力なのだと拝察いたします。

先生はこれからも信仰を軸に、学説を展開され、「集団的自衛権を合憲とする数少ない学者」として独特の御業績を上げていかれるでしょう。

今夜の「朝まで生テレビ」での信仰に基づいた憲法論を楽しみにしております!!