子宮頸がんワクチンとミソジニー

子宮頸がんワクチンの「副作用」は「心因性」のものがあるのではないかと言う見解と言うか研究結果が発表されたらしい。
 
そのせいか、SNSを見渡すと、「そーら見たことか。思春期の女の子だからそうなるのも当然」「このサーベイはおかしい!子宮頸がんワクチンの危険性には揺るぎない」と、賛否両陣営が喧しい。
 
ぶっちゃけ、どうでもいい。
 
そもそも「副作用のないワクチン」など、存在するはずがない。それが心因性であれなんであれ、ワクチンを接種した人の中に一定の割合で副作用が出るのは当然の話。問題は「その一定の割合とはどの程度のものか?」という「リスク」論と、「発生しうる副作用の酷さはいかほどのものか?」という「ハザード」論だろう。
この「リスク」と「ハザード」の掛け算で、物事の評価は決まる。

そういう冷静な判断をすっ飛ばして、「危険だからワクチン接種をやめるべきだ!」という立場を取る人間は、あらゆるワクチン接種を否定する新興宗教と言っていい態度のバカのみならず皆、きわめつけのバカだ。

同時に、「危なくないんだよ。接種しろよ」という立場も、極めて頭が悪い。
もし「誰が打っても安全なワクチン」「副作用が出るとしても心因性のものしかない」なるワクチンがあれば、それは「効き目がない」ってことだ。
どんな薬であれ、「効く」からには何らかの副作用をもたらす。副作用がないと一般的に言われている漢方薬でさえ、時に重篤な副作用を引き起こす。

「副作用なんかないから、あっても心因性の物だから、バンバン打てばいい」という態度は、つまるところ、「このワクチンには効き目がない」と言っているのと同じなわけだ。効き目がないワクチンなら打つ必要は一切ないわなw
 
と、考えると、「ワクチンは危険だ」も「副作用なんかない」も、両方ともキチガイじみた頭の悪さを呈していると言わざるをえんだろう。 
 
もうね、神学論争になっている。
「ワクチンを打ってはならぬ」側は、子宮頸がんワクチンのみならず、風疹や百日咳のワクチンも含めて打たぬ方が良いと思ってるようなホメオパシーでも信じそうなバカを陣営内に抱え込んでいる。お前ら、砂糖玉でも舐めて一生暮らしてろ。

ホメオパシーみたいなくだらないことを信じるバカを陣営内に抱え込んでしまっているのは「ほーら心因性だったじゃないか。副作用なんかないんだ」側も同じ。
どうも今回「心因性の副作用」なる新材料が投入されたことによって、以前から漂っていた「女子供は理性的でないから困るwww」的論調に、磨きがかかったように見える。
ワクチンに効果があるのは自明なのに「女子供は」軽薄かつ非論理的な思考をするから、ワクチンを拒絶する。そういうバカな「女子供」を一喝してやろうじゃないのよこの俺様がよ「副作用なんてないんだ!ワクチン打ってこい!」。。。どや、言ってやったぞ。

ようは、これ、ミソジニーなんですよ。
ミソジニーを抱えるのはいい。抱えるのはいいって、内面に持つのはいいってことね。いいって言っても、「そりゃ頭の中の妄想でどんな犯罪的な妄想を膨らませようとも、それが表に出てこない限り問題ない」ってのと同じね。ミソジニーが善いものだという意味ではない。
で、そのミソジニーが頭の中で止まり、言動に表出してこない限りは問題ない。
 
しかし、ワクチン接種の是非などの他人の人生に関係するような事象に、ミソジニーが影響を及ぼしているのならば、大問題だよ。
その害悪は「ホメオパシーを個人的に信じているようなバカが、他人のワクチン接種に口を出す」のと本質的に同じ。

で、このように「その裏にはミソジニーが潜んでる」と指摘すると、「いやミソジニーじゃない。現に女性でも同じことを言う人がいる」なんて奴が絶対でてくる。
そこがもうミソジニーなんですよ。「僕の言ってることはミソジニードリブンじゃない。なぜなら女性も同じことを言ってるから」ってのは、「I have a black friend」話法でしかないの。どの分野でも起こる「差別者の自己弁護論法」の典型でしかない。

もうね、ホメオパシーもミソジニーも、迷惑なの。オナニーは自分でやれ。