#森へゆく径 古本とAmazon

久しぶりに神保町へ行った。

ほぼ毎週神保町でぶらぶらしてたのは20代のころ。
あの頃僕は、「キッチン南海」と「いもや」と「古瀬戸」でしかカロリー摂取してなかったんじゃないのかと思うぐらい、読むのも飲むのも食うのも、神保町だった気がする。住む場所を巣鴨に決めたのも、三田線でそのまま神保町に通えるからだった。

で、30越えた頃、なぜか神保町が嫌いになった。正確にいうと「神保町に通う自分」が嫌いになった。神保町にいって本を掘ってしょーもないウンチクを垂れてる自分が本当に嫌になったのだ。この気持ちは今も変わらない。神保町、で用を達せればそれでいい。神保町通いを自慢する奴をみると、未だに虫酸が走る。

しかし「嫌いだ。通いたくない。行きたくない」という思いがここ半年ほどでがらっと変わった。40超えて、もう、かっこいいだのかっこ悪いだのあんまり拘らなくなったってのもある。しかし、最大の理由は、Amazonだ。

Amazonの真価は古本にこそある。

新刊本ならば本屋にいけばいいのである。いかにAmazonプライムが早いとはいえ、近所の本屋で買い物する速さには敵わない。こういうことをいうといつも「地方の本屋のひどさをしらないのだ」とご指摘をうける。しかし考えてもみてほしい。読者層がマーケットとして成立しない地方都市での棚づくりは、取次がDB経由で把握した全国各地の売れ筋本がベースとなる。つまり、新刊本の棚づくりそのものは、東京をはじめとする都市部とあんまりかわらない。

だが、古本は少し事情が違う。

そもそも地方には古本屋がない。あったとしても規模が小さすぎる。そんな時、こそ、Amazonの出番だ。Amazonにはマーケットプレイスというサービスがある。あのサービスを使って、全国各地の古本屋さんがいろんな本を出品している。稀少本の類でさえ検索にひっかかることがある。神保町を半日うろつくぐらいと同程度の探書が、Amazonの検索で20秒ほどでできる。「探書の途中で興味深い別の本に出会う」というブックハンティングの醍醐味すら、Amazonで出来る。

おそらく、地方の古本屋さんが今後生き残っていく活路は、Amazonにこそあるとおもう。Amazonにさえ登録してちゃんとした商売してたら、客は必ずつく。

ただ、問題は、買い手の方にある。

不思議なもので、「Amazonで古本を買う」という行為には、えも言われぬ罪悪感がつきまとうのだ。なにか神聖なものを冒涜したかのような罪悪感が襲ってくる。「昭和22年の本を、Amazonでポチッとして、クロネコヤマトが運んでくる」そう思うと、なにか申し訳ない気がするし、開封して手に取った本に紙魚が住みついてたりすると申し訳なさがいや増しにまして涙が滲みそうになる。

だから最近、Amazonで古本を検索して、神保町の古本屋に在庫があれば、そのままAmazonで決済せずに、お店に電話をかけて取り置きだけたのんで、自分で買いに行くようにしている。あのえも言われぬ罪悪感から逃れるためだけに、神保町にまた通うようになった。

罪悪感からの逃れ方を習得してから、僕にとってのAmazonは、新刊書店ではなく、「全国の古本屋の総代理店」のような存在になったのだ。

「Amazonは本屋を殺す」と、人はいう。確かにその側面もある。しかし、Amazonがあればこそ生き残れる本屋も今後出てくるだろう。
そして、古本屋こそ、「Amazonがあればこそ生きていける」という業態なのだと思う。

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