石原慎太郎への見舞状

拝啓 石原慎太郎殿

報道によりますと、島根県益田市でのご講演の後、「頭が重い」とお訴えになり、病院に緊急搬送されたとのこと。「すわ!日本最大のオワコン差別主義者、危篤か!」と心配いたしました。その後、無事ご退院されたとのことで、祝着に存じます。しかしながら、以前より軽い脳梗塞を患っておられるとも聞き及んでおり、心配でなりません。

お体、大丈夫でしょうか?

思い起こせば石原慎太郎という人物は、その出生の段階から、「昭和」を象徴するような人物でありました。

 後に「ブラジル丸」などを就航させ、昭和の日本が誇る一大国策・「南米への棄民政策」の推進機関となる山下汽船に勤務する父君の元、京阪神モダニズム華やかなりし昭和7年の神戸でお生れになった貴殿は、貧富の差激しき当時の神戸や大阪の庶民の生活など全く意に介さず、すくすくとお育ちになります。

その後、父君のご転勤に伴い、山下汽船創業者である大富豪・山下亀三郎の湘南の別邸に移り住まわれたのが昭和18年。

貴殿は、国民が塗炭の苦しみを味わっていた、あの戦中の苦しい時代を、絵に描いたような乳母日傘の状態で、なんの苦労もなくお過ごしになられます。はるか後年、都知事になられた後に、「戦争中はみんなが苦労した。貧乏だった。その経験が日本人を強くした」と、ご発言をされますが、あのご発言も、湘南の高台に佇む瀟洒な豪邸の中から下界を見下しつつ、なんの苦労もなくお過ごしになられた幼少期の経験に、全く基づかないものであると思うと、感涙にむせぶしかありません。

戦争が終わり、一橋大学に進まれ、「灰色の教室」で文壇デビューを果たしたご貴殿は、第二作「太陽の季節」で芥川賞を受賞。一躍、時代の寵児になられます。

思うに、石原慎太郎の才能は、やはり文筆にこそありました。その後、矢継ぎ早にお書きになった「聖贄」や「狼は生きろ豚は死ね」などは、確かに問題作でもあり世間からはエログロ扱いされてしまったものの、掛け値なしに、ここだけは本心で申しますが、戦後文学の一角をなす、極めて質の高い作品だと思います。

しかるに、三島由紀夫へのルサンチマンなのか、弟・裕次郎への嫉妬なのか、なんだかよくわからない動機で、なぜかご貴殿は、政界に進出されます。

政治家になられた後のご貴殿は、まさに飛ぶ鳥を落とす勢い。弟・裕次郎の人気も相まって選挙には滅法強く。。。と、言いたいところですが、タレント人気で当選できる参院全国区以外の選挙では、案外苦戦をしいられていたお茶目な一面も合わせ持つのが、ご貴殿のチャームポイントかと存じます。

その苦戦が最高潮に達した1983年の衆院選挙で、ご貴殿は、同じ選挙区から立候補していた新井将敬候補の選挙ポスターに、「1966年に北朝鮮から帰化」と書かれたシールを貼るという、いわゆる「黒シール事件」を起こされます。

まさに、レイシスト・石原慎太郎の真骨頂と言えましょう。

新井将敬氏は、元大蔵官僚。その優秀さから渡辺美智雄に見出され、政界進出を目指していた矢先の事件でした。新井将敬氏が朝鮮籍から日本国籍に帰化したことは事実です。しかし朝鮮籍は「日本帝国領朝鮮」の戸籍であったことを示すものであり、北朝鮮国籍の意味ではないことは子供でも分かる話。このような基本的な事実さえ踏まえずに人を差別する姿は、はるか後年猖獗を極めることとなる、ネトウヨの祖型をみるような気がいたします。

さすが、時代の最先端を走り続ける男ですね。

貴殿は、この明確な差別事件かつ選挙違反事件を、「秘書が勝手にやったこと」と、華麗に人のせいにし、何事もなかったかのように政治家としてのキャリアを積み上げていかれます。そのキャリアの過程で、「三国人発言」「ババア発言」など数々の差別発言を繰り返されていく様は、まさに、差別主義者の面目躍如といったところでしょうか。

 そんな貴殿も、後年、選挙演説で「裕次郎の兄です」と挨拶するなど、露骨なタレント依存の選挙戦略に切り替え、タレント候補に滅法弱い有権者たちを扇動し、東京都知事まで登りつめられます。

 都知事就任後、秘書の浜渦氏にほとんど全ての執務を丸投げにし、都庁にあまり登庁されなかったご貴殿には、「こんな差別主義者が登庁すると都政に混乱を来す」という、深い慮りがあったのだろうと拝察いたします。

 その種の深慮遠謀からなのかなんなのか、一体なにをやりたいのかわからない都政を4期も務められたのち、突然都知事を任期途中でおやめになられたご貴殿は、太陽の党など新党を相次いで結成されます。

 新党結成後のご貴殿の活躍は、目を見張るものでした。

 選挙のたびに政党の名前を変え、離合集散を繰り返し、その旗の下に集まる人々がことごく落選するという目覚ましい活動を、全国規模で展開。有権者に「ああ石原慎太郎はもうオワコンなんだな」「石原慎太郎のところに集まるのだから傘下の候補者はバカか差別主義者なんだな」という鮮やかな印象を与える成果を上げられました。

 そんなご貴殿も、前回の衆院選挙の落選をもって政界を引退。

貴殿の撒き散らした差別の種は、いまや路上で、そしてネットで、花をさかせてしまっています。

 ご覧ください。

 ネットには、80年代に貴殿が発した差別発言にそっくりな言葉があふれかえっているではありませんか。路上には特定民族に対して「殺せ」だの「売春婦」だのといってはばからないレイシストが溢れかえっているではないですか。

 これらはみな、貴殿の功績です。

 ですから、どうぞ、ご安心ください。貴殿はもう十分に日本の社会に悪影響を与えられました。これからはお体に十分留意され、都知事時代に無理やり都に買い上げさせたご子息の絵画でも鑑賞しながら、ご養生にご専念ください。

 本来であれば、拝顔の上、面罵すべきところですが、まずは取り急ぎ書中をもちましてお見舞い申し上げます。

平成27年6月9日

全日本ビーフ連合 会長 菅野完

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