すし屋と朝鮮人。

韓国からの旅行客に、わさびを大量に供したとかいう大阪の寿司屋が話題だ。

こういう話に対し「まず真偽を確かめよう」ではなく、「あれは差別ではないのではないか」という論説が流れるのがいかにも日本らしい。大量のわさびだよ?やってることは暴行に近い。意図が何であれまずは緊急避難的にも店側は糾弾されるべきだろう。それに第一、市場寿司だよ?ミナミで遊んだことのある人なら知ってると思うが、あそこのわさびは、いかにわさび好きとは言えそんなにありがたいようなもんじゃない。かんぴょう巻きにわさび増量で甘めの日本酒をやるとか、「おろしたてなんで、ぜひ」ってな口上と一緒にわさびだけ出してもらったのを冷えた酒で追っかけるとかいう悦楽を知るわさび好きだって、「まあ、ここのは、いいや」って避けたい程度のわさびだ。あんなもの大量に押し付けられたら辛い辛くないの前に、まずくってどうしようもない……なんてことを考えてたらふと思い出した。

そのものズバリ、「寿司屋の朝鮮人差別」を主題にしたコラムがあったのだ。例の市場寿司の事件を受けてだされたものではない。発表媒体は1974年6月29日付の『朝日新聞』「天声人語」。書き手は、深代惇郎。「日本新聞史上最高のコラムニスト」と評されながらも急逝した名物記者だ。「天声人語」で彼が発表したコラムは後に、『深代惇郎の天声人語』として書籍化された。今は朝日文庫に収められている。

深代のこのコラム思い出したので読み直してみたら、これが実にいい。40年以上前のコラムなのに全く色褪せない。色褪せないどころか、とても今日的でさえある。

ということで、あまりにも素晴らしいので、以下、コラムを引用してみる

「なにっ、このアイヌ」といわれてカッとなり、相手をナイフで刺したトビ職人が、第二審の東京高裁で懲役五年から四年半に減刑された。本人は「第一審では恥ずかしくて言えなかった」といい、裁判長もこの言葉が犯罪の動機だったことを認めた。

殺された労務者は朝鮮人だった。アイヌと朝鮮人、互いにののしり合ったのだろうか。「差別の中の差別」に、暗い悲しさがこもっているように思う。差別を作っている張本人は誰なのか、という思いが心を突き刺さずにはおかない。

関西の団地に住む朝鮮人の奥さんから、投書をもらったことがある。日本に生まれ、日本で育ち、日本人の中で暮らしている。団地夫人たちが、自分を朝鮮人だと知ると「まあ、ちっとも知らなかったわ。日本人と同じじゃないの」と、声を上げるそうである。

うれしそうな表情で、率直な感想を述べているだろうが、この朝鮮人の奥さんにはそれがたまらないという。その言葉、その言い方に、しゃべっている本人さえ気づかない差別の芽が鋭く感じとれるからなのだろう。

何で読んだかは忘れたが、口の悪いのが売り物のすし屋のおやじの話があった。「夏の今、ヒラメだって、あんたダメな客だね」。そんな悪たれや講釈を聞きに来る客がいて結構はやっていた。あるとき若者が入ってきた。「何からいきましょうか、おにいさん」「何にしようかなあ」。

おやじの例のくせが始まった。「すし屋で座って考え込むようじゃ、あんたもダメだね。朝鮮野郎みたいだな」。若者は間を置いてから「おやじさん、ぼくが朝鮮人じゃなくてよかったですね」と、さわやかに言って退けた。おやじはぐうの音も出なかったそうだ。だれでも自分は偏見がないとおもい、そういう。偏見でないと信じ込む偏見、独断でないと思い込む独断ほど、その病は重い。

どうでいこの名調子。天声人語は600字前後。その600字前後の中で収まりをつけようとするからか、最後の部分はいささか急ぎがち。しかし、この文章の運びから言えば、こうとしか手仕舞いのしようもなかろう。天下の名コラムとしか言いようがない。

「偏見でないと信じ込む偏見、独断でないと思い込む独断ほど、その病は重い。」てふ結末など、2016年の現在でもそのまま通用する切り口だ。素晴らしいなんて言葉じゃ追いつかないほど素晴らしい。

と、同時に、諸君。これは慄然とすべきことですよ。40年たっても我々の社会は、この朝鮮人を馬鹿にするすし屋のおやじがいた時代から、何の進歩も見せてないわけだから。

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