ガソリン代とパナマ文書

世界中が「パナマ文書」で大騒ぎをしている。税の軽い地域に資金を流し事実上の脱税行為に及んでいた企業や人物の数は、万単位に上るという。たとえ海外での資産運用が違法でなくとも、倫理的な問題は残る。あまりにも不公正だ。真面目に働き納税する善良な市民が国境を越えて怒りを共有するのも当然だろう。報道は人々の怒りに火をつけ、すでにアイスランドでは首相が辞任するまでに至った。▼しかし日本のメディアはまだ騒がない。理由はいくつか考えられる。これまで公開された範囲では米国に関する情報が少ない。そのためか、米国世論は今のところ静けさを保っている。海外ニュースや国際世論についての情報源が米国に偏りがちな日本の報道機関としては、お手本がない状態なのだ。▼金額の巨額さも理由の一つだろう。何しろ単位は数兆円。事実をそのまま伝えたとしてもこれでは現実感が湧かない。そんなことより、「200万のガソリン代は高すぎる」などの話の方が庶民的でもあり、リアリティもある。▼だが数百万単位のはした金で騒ぐ一方で、数兆円規模の巨大な不正行為を追求せぬのならば、それはもはや怠慢ではないか。▼権力を監視し巨悪を撃つのがジャーナリズムの役割だ。確かにこれは綺麗事かもしれない。しかしこの原点を忘れた瞬間、ジャーナリズムの社会的存在理由は消失する。「ガソリン代」で大騒ぎし「パナマ文書」で沈黙を続けるならば、メディアは自殺したに等しい。