アレッポの石鹸

アレッポの街はどうやらローマ以前からすでに栄えていたらしい。物の本によると、ボスポラス海峡方面からイラン方面ひいてはインドへと至る東西の経路と、黒海方面からゴラン高原を抜けエジプトへと至る南北の経路のちょうどその交叉にあることが、アレッポの繁栄の源だという。地勢からして交易で栄えることが宿命づけられている街なのだろう。

我々日本に住む者どもにとって、アレッポといえば、細い路地に商店が蝟集し様々な物品が売買される、あの市場の様子がまず真っ先に頭に浮かぶものだった。しかし2011年から続く内戦によって、アレッポのあの市場(あちらの言葉ではスークというらしい)は、灰燼に帰した。その後約5年近く、アレッポの人々は塗炭の苦しみを耐え抜いてきたことになる。そして今、ロシアの支援を受けたシリア政府軍がアレッポを占領しつつあり、その様相はまさに、集団虐殺としか言いようがない……。

いや、いかん。

その悲憤慷慨を元に筆を進めるのが本稿の目的ではないのだ。

ここに、石鹸がある。

アレッポ石鹸

先日、新宿の「ベルク」にて購入したものだ。アレッポの産だという。

一昔前、ロハスだの何だのと軽薄な言葉が流行り、「自然なライフスタイル」が持て囃された時期があった。タバコを吸うな、酒を飲むな、オーガニックなものを食え、スキンケアは自然のものでと、「自然なライフスタイル」とやらは、あらゆることに気を使うことを要請する。それじゃかえって不自然じゃないかとさえ思うのだが、ああいうものは一度ハマるとなかなかに楽しいらしい。あの頃、綺麗なお姉さん方が争って使っていたのが、アレッポの石鹸だった。

あの頃のアレッポの石鹸は確か細長い木箱に収められていた。その木箱の中に、全長90cmほどの石鹸が入っている。針金が付属しており、その針金を使って石鹸を切り分けるという趣向だ。その様をみて「いくらいいものかも知れんが、何でそんなめんどくさいことをするのだ。牛乳石鹸でいいじゃねぇか」と一笑に伏した記憶がある。

あれから15年ほどはたっただろうか。

CNNで流れるアレッポの惨状を見ていると、ふとこの石鹸の存在を思い出した。「確か、2012年にスークが全滅した際、石鹸工房も軒並み潰れ、今やあの石鹸は幻となったはずだ」という不確かな記憶を元に、もろもろ調べてみると、新宿の「ベルク」で今まさに売っているというではないか。しかも、値600円のうち500円がアレッポへの支援に回るという。これは捨て置けない。昔、物笑いにしたことなど都合よく忘れ、所用のついでに新宿に立ち寄り、早速4つばかり買ってみた。

持ってみるとずしりと重い。そして、使ってみるとすこぶるいい。今になって15年前の自分の不明を恥じる。

すでに42になった僕は、自分の加齢臭がひどさに悩んでいる。そのため僕はここ数年、柿渋成分入りの加齢臭対策用石鹸を使っていて、その結果にすこぶる満足してはいた。柿渋石鹸は本当に良いのだ。男性諸氏ならおなじみの「朝起きた時の枕のあの臭い」が途端に消える。

しかし、アレッポの石鹸は柿渋石鹸よりすごい。柿渋石鹸が「皮脂に潜む加齢臭の原因を柿渋成分によって中和させる」ことを目的としている一方、アレッポの石鹸は、「皮脂?フザケンナ。こっちはオリーブオイルだよ。お前なんか油の力でこそぎ落としてやらぁ!」という勢いで、皮脂そのものを綺麗さっぱり流してくれる。もう原因から完全に叩き潰すのだ。

そのくせ、オイルクレンジング特有の「皮脂の取りすぎによる肌へのダメージ」がない。僕のように、顔面の脂を集めれば天麩羅屋を開業できんではないかというほどオイリーな顔をした男子は、脂症を悔やむあまり、オイルクレンジングに手を出し、皮脂を取りすぎてしまい、かえって脂症を悪化させるなんてことを繰り返している。アレッポの石鹸は「汚い皮脂は落とす。大事な皮脂は残す。」感じで、この悪循環を断ち切ってくれる。

こういう石鹸はなかなかない。純粋に石鹸としての機能に優れているのだ。

この優秀な石鹸が今、ベルクで、600円で売られている。先述のようにそのうち500円は戦災に喘ぐアレッポの人々への募金に回るという。

が、ちょっと待てよ…

ベルクの売上はたった100円。原価は知らぬが、あの手狭な喫茶店で、1トランザクションで100円の売上しか上がらぬのなら、店としては儲けなど発生せぬことは容易に想像がつく。ベルクは、他の飲食物をおけば純粋な粗利が発生するところ、手間をかけているわけだ。と、なると、「石鹸一個あたり500円の寄付」は、実質的に「すでに店側が負担している」と考えた方が自然だ。つまり、ベルクは「僕たちの寄付を、すでに立て替えてくれている」ということになる。

これは簡単なようで、なかなかできることじゃない。トランザクションを稼ぎ、売上を確保し、粗利を獲得することを命題としている飲食店で、そんな豪気なことするなんて、立派じゃないか。

優秀な商品と立派な売り手。なかなか得難い取り合わせだ。

諸君。今からでも遅くない。新宿に行きたまえ。ベルクで石鹸を買うのだ。そして、近い将来、あの街の石鹸を普通に買える日が来ることを、祈ろう。

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コメント

  1. 南京猫 より:

    今現在、アレッポの石鹸職人達は内戦の続くシリアからトルコへ逃れ、従来の加工方で再出発していると聞きました。
    「近い将来、あの街の石鹸を普通に買える日が来ることを、祈ろう」
    胸を打たれる言葉です。真の意味で「祈り」の言葉と言えるでしょう。
    幾千万のおためごかしの綺麗事は無力です。
    noiehoie様のエッセイ(?)素敵です。